長崎そよについて20分考えた話
昨日の夜一人で喋りながら20分くらい長崎そよについて考えたんですが、結論としては「クライシック時代の長崎そよと比較できていない」のが一番問題点なんだろうなと思いました。
クライシックの描写はところどころしかなくて、その中で長崎そよはどういう立ち振る舞いをして、どこにクライシックとしての楽しさを見出したのかが不明なため、Mygoの長崎そよとの比較が十分に行えずモヤモヤしているんだろうと思います。
よく「長崎そよが素の自分を出したうえで受け入れてくれたから」みたいな意見をよく見るんですが、それも「じゃあクライシック時代に長崎そよは素の自分を出せてたの?千早愛音にキツめに接する長崎そよみたいなことをクライシックのメンバーにもできてたの?」っていうところを比較しないと十分な理由とは言えないと思います。
長崎そよにとってクライシックが楽しかったことは事実だと思うし、だからこそ執着してたとは思うんですが、クライシックがどうして楽しかったのか、どうしてそれほどまでに執着するものだったのかという説明は不十分だと思うし、だからこそ振り切れた理由はやっぱりわかりません。